ラキセ全体のカジノ設定そのものがビッグアメリカンドリームの象徴だと思ったの。
だから淳太くんは照史くんと2人でやろうとしたステージをWESTに還元したのかなって思った。
— 楓香 (@yrkt_hsjjw) 2016, 1月 25
「国境(ライン)の向こう」感想と久しぶりに見た賢章くんの話。
自担が愛しくて仕方がない。
ごはんの話
遠い場所から別れを告げる話
両親が「三郎*1」と呼んでいた彼の事が少し気になって、目で追ったのが最初だと思う。
いつの回だったか、コンプレックスの話をする流れになって、「笑うと目が無くなっちゃうんですよね〜」とこぼし、「でも田口くんの笑顔はチャームポイントだよね」と和田さんに褒められて綺麗にはにかんだ彼を見た時にはもう完全に好きになっていた。
KAT-TUN全員に見せ場を作ってくれる歌笑は茶の間ファンの小学生が田口さんにハマるのに十分すぎる映像を提供してくれて、あの大きな大きな身体が華麗にバク転を決める姿はジャニーズを知ったばかりの私には本当に衝撃だった。
恥ずかしい表現だが本当に王子様に憧れるように「じゅんの様」を好きだったのだ。
それから10年。
何度か担当が変わってしまって、一時ジャニーズからも離れていたけれど、テレビでKAT-TUNを見れば田口さんに目がいった。
最初に抱いた印象と彼は少しずつ変わっていったけれど、特に幻滅も衝撃もなく、茶の間ファンとしてKAT-TUNを応援していた。
そしてここ最近の田口さんは本当に綺麗で、ジャニヲタ出戻りと共に再び買い始めた雑誌に彼が載ると幸せだった。
それら全て、もう見ることができなくなるのかと思う。
何の報告も無いため、今後彼がどの道で生きていくのか全くわからない。今の時点では全て想像でしかなく、確定しているのは彼がKAT-TUNから、ジャニーズからいなくなってしまう、という事実のみだ。
ただなんとなく、もう今のように彼を見て笑い、憧れ、感動することはできない気がする。
円盤も無い。現場に行ったこともない。雑誌はあるけどそれだって買った目的は彼ではない。
私は今までずっと茶の間ファンの域を飛び越えられなかった。
田口さんを好きになった時は田舎の小学生で、自分の勝手で彼を追いかけるには財力も脚も理解も無かった。(追っかけの存在こそ知っていたものの自分とは無縁と思っていたし、そこまでの熱がなかったのも事実)
大きくなってある程度の自由が効くようになった頃にはたくさんの人に魅了され過ぎていて、結局彼に私が働きかけられたことなんてテレビを挟んだ場所からの賞賛だけだった。
彼がジャニーズという大きな組織の中でアイドルをしている限り、こんな応援の仕方で十分満たされたのだ。
それがこれからはどうだろう?
きっと強く会いたいと願わなければ会えない存在になるだろう。もしかしたらメディアの前に顔を出すことが無くなってしまうかもしれない。
そうなれば私は自分の担当達を応援して、楽しんで、毎日幸せに暮らしながら何かの拍子に彼を思い出すのだろう。
それを寂しいと思うくらいには彼が大好きなのに、私はお茶の間から飛び出せずにここまで来てしまった。
彼だけを追いかけてきた方々や、それこそあの時あの場にいた担当の皆様に比べたら私のショックなんて軽いものだろう。
それでもやっぱり一晩経って尚寂しさは増すし、これを書きながら気持ちに整理がついてきたら余計に悲しくなった。
綺麗で、愉快で、華やかな彼が大好きだ。
こんなことを書きながら、もし彼が何かの形でメディアに出ようものなら嬉々として見てしまうかもしれない。
何かの機会があればあっさりお金を出して彼に会いに行くかもしれない。
ただ、今は考えられない。
今後についての言及が何もないから尚更だ。
私は最後の日まできっと美しいであろう最初に好きになった人の姿を今まで通りお茶の間から見続ける。
*1:ドラマ「がんばっていきまっしょい」内の田口さんの役名。両親はこのドラマが好きだった
自分のジャニーズ遍歴振り返った。
昨日例の先輩とブックオフに行きました。
昔のNEWSとJr.時代のWESTを追う事に精を出す先輩は中古のアイドル誌を定期的に買い漁っているようです。
毎度毎度大量の中古雑誌を吟味している先輩を見ると本当に申し訳なくなります。彼女が手にしている雑誌はどれもこれも私がリアルタイムで所持していたものばかり。
それらはヲタ離れしていた3年ほどの間に家族によって処理されてしまいました…。
ごめんね先輩。私があの辺の雑誌と一緒に上京していれば…。
中学生の財力だったからポポロばっかりだったけどたまーにduetとかの7日発売誌もあったし、ごくせんの頃はゆやさんのためにMyojo買ってたし、結構充実してたはず…
と、ここまで思ったところで「あれ?意外と私長い間ジャニーズに入れ込んでた?」と今更な事に気付きました。
DD(誰でも大好き)という言葉が生まれるずっと前から誰でも大好きだった上にどのグループも今で言う「永遠の新規」と称されるタイミングでハマっていたためにひよっこの自覚が抜けなかったが、もしかして年数で言えば結構長い事入れ込んでたのでは?
と、言うわけで今まで通ってきた道を振り返ってみました。
(二つめくらいの記事で振り返ってたけどあの時と今じゃ明らかにテンション違うので改めて)
ジャニーズの中の1グループに興味を持ったのは多分ここが初めて。
小4くらいの時にちゃおに載ってた赤西くんのインタビューを読んだのがきっかけで、デビューを記念した大量の露出に乗っかった形でハマる。
最初は亀梨赤西でキャイキャイ騒いで、最終的にじゅんの様に落ちた。
あの時はまだ王子様だと思っていたなぁ…(遠い目)
ちなみに最近の黒髪田口が「じゅんの様」の面影を見せてきて私としてはとっても嬉しいです。
②嵐
元々お茶の間ファン程度に好きだったけれど、KAT-TUN目当てに雑誌を買うようになってしっかりのめり込む。
まだ小学生で、周りに相葉くん支持派が揃う中自分だけずっと翔くんを推してるのがちょっと誇りだった。
ちなみに嵐とは後々妹が二宮担になった為長い付き合いになりました。
歌える曲が一番多いグループかも。
アイドル誌を読むようになって初めて存在を意識したグループ。その為錦戸渋谷などをすっ飛ばして最初から真っ直ぐヤスくんに落ちた。その後たっちょんにも軽く落ちた。
CDの初回限定版にこだわるようになったのもここから。そういう意味ではジャニヲタスタートは彼らかも。
両親は私がハマる前から深夜番組を観ていて、既に父親は丸ちゃん推しだった。
後にも先にも家族みんなで全力で応援してたグループはここだけかもしれない。
④Hey!Say!JUMP
出ました私の最高。←?
Hey!Say!7ブームの真っ只中、みんなと一緒に山田くんを愛でるところから始まって、突如高木くんに落ちる。そのままJUMPデビュー→今に至るまでずっと高木担。
貶し愛を覚えたのは確実にこのグループから。どんなに文句言ってもずっと好きだった。
初めてコンサートに足を運んだのもJUMPです。(何故か家族4人で)
アリーナ席の上の方だったのに父親が「岡本くんにピースしてもらった!」と喜んでいたのが忘れられません。
しかし高2の冬、彼らから一瞬離れました。
決定的なきっかけは未だにわからないのですが、金銭的余裕のない高校生に、発展途上の彼ら(特にあの頃高木さん迷走してたし)を追っかける元気が無くなっていたのかな、と思います。
(ほら、5000円すら死ぬ気で払ってた時代ですから。ライブDVDがちょっとでもつまらなかったら怒り狂ってたんです。必死だったとも言えるかな?)
そんで、JUMPから離れて落ち着いた先が
⑤V6
きっかけがまるで思い出せない。セクバニか、バリバリか…。ちょっと完成された大人に興味が湧いてしまった。
ちなみにV6は前から健くんが好きだった。小さい時から伊藤家で見てたからだと思う。普通に雑誌とかで人となりまでわかってたらイノッチに落ちてたはず。(←)
ここに少しだけハマったのを最後に3年ほどのジャニ離れ。アニメと声優の世界に飛び込んでいきました。
そして大学入って1年ほど経ったところで久しぶりのジャニーズ。
そしておかえりなさい私のジャニヲタ人生。
ここで新しくハマったのが
前から触れる機会のある人ばっかりだった。
エイトにハマってた頃は毎年の少クラ大阪スペシャルが大好きだったし、ごくせんはもちろん映画までしっかり観てたし(桐山くんに至っては雄也さんの親友である)、カウコンでデビュー発表があった時も「あ、この子たちデビューするんだ」と驚いていた。(その時は諸々の事情も知らなかったので、後日テレビで見たらメンバー増えてて余計に驚いた)
先輩からの布教も手伝って「好きになるも何も、前から好きでしたよ?」くらいの気持ちで跳び込んだ。
応援していたJr.がデビューする、っていう経験を初めてさせてくれたのは藤井流星くんでした。
ずっと少クラで「カッコいいなぁ、喋らないなぁ」と思って見ていた彼を、今地上波の番組で「カッコいいなぁ、喋らないなぁ」、と思って見ていられるのがちょっと嬉しいです。
そしてJr.時代には気にしていなかった神ちゃんの存在。こんなに可愛い人いたっけ?前から気づいていたかった…。
あ、年下がいる!!ってナチュラルにショック受けたのもWEST。
私は早生まれなので学年はのんちゃんの一個上。(セクゾンデビュー時勝利くんは同い年だと勘違いしていた為ノーカンで。)(「こんな大人っぽいのに年下?!」という類のショックなのでマリウスくん聡くんもノーカンで)
そういえばのんちゃんの変化にびっくりしたなぁ…彼に何があったんだろう…?
(3年間全く見てない内にあれだけ変わってたらそりゃ驚きますって)
…と、こんな経歴を経て現在に至っております。久しぶりのジャニーズ楽しいです。持ってるDVD手放さなくて本当に良かった。(1回本気で売ろうとしてた)雑誌だけじゃなくCD、DVDまで無くなってたら後悔止まらなかった。
ちなみに明確にハマってないので書かなかったのですが、NEWSをレンタルショップで漁ってた時期もありました。まっすー推しで、テゴマスは1枚だけCD持ってます(「キッス〜」が無性に欲しくなって買った)
何だろう?私奇抜な人好きなのかな?
可愛いじゃ済まされないくらいポヤポヤしたイケメンが好きなのは自覚してるけど、よく見たら歴代奇抜チビ全部通っている…
まぁいいや。自分が満足したので今日はこの辺で。
ではでは。
(流してたVコンDVDが今「遠いところまで」になってタイミングいいな、と思いました笑)
高木雄也氏について考えてみた。
1日に何回ブログ更新してんだ。暇かお前は。
はいすいません。暇なんです。もっと言えば今実家からアパートへと戻る最中でこの後2時間は電車に揺られるのです。寂しさと暇さがない交ぜです。
と、いうわけでそんな時間と気持ちを紛らわせるためにも。今回は高木雄也さんについて書きたいと思います。
帰省中、1年ぶりにポポロを買いました。(去年の今頃声優目当てに1回だけ購入しました。ジャニーズ目当てだとしたら本当に5、6年振り)
妖に扮したHey!Say!JUMPがどうしても欲しかったのです。
帰省中のため妹と2人でギャーギャー言いながら目を通していたところ、妹がふと、
「雄也さぁ、最近変わったよね」
と、口にしました。
妹がそう思ったのはインタビューページに載っていた「恋愛感編」の部分。連絡をマメに取りたがる女の子や、ヤキモチ焼きな女の子はアリかナシかなどの質問に対し彼は
「連絡とか電話は俺からはしないタイプ(中略)相手からバンバン電話来るのも×」
「(ヤキモチ焼きな女の子に関して)俺には理解不能」
「(人前でイチャイチャする女の子に関して)最初の3ヶ月はアリ。それ以降はダメ」
など結構ドライな発言を連投していました。
数年前、JUMPを追いかける私の隣で客観的に彼を見つめていた妹にとっての高木雄也のイメージは、携帯中毒でかまちょでなんだか掴み所のないヤンキー…ざっくり言うとそんな感じです。
言われてみれば数年前の彼なら携帯を握って離さなかっただろうし、デビュー当時の理想のキスのシチュエーションは「電車の中でこっそり」だったし、(某M誌でそんな事言ってた気がする)こういう恋愛系のインタビューでは割とどこにでもいるようなデレデレのバカップルを描いていたような気がします。
「私が離れていた4、5年の間で彼は確実に変化していた。」
この発見は私に少なからず衝撃をもたらしました。そしてその変化は恋愛感に留まらず、高木雄也というアイドルの生き方までもが私の知らない間に少しずつ変化していたのでは無いかと思うようになりました。
心の底から高木担を自負していた頃、私が彼に向けていたのは世間でいう「貶し愛」というやつでした。
髪型をコロコロ変える割にどれもしっくり来ないことを毎月叱咤し、なんともポヤポヤとした受け答えばかりのインタビューに舌打ちをかまし、それでもそんなちゃらんぽらんなところが可愛いなぁと6つも年上の彼相手に上から目線で文句ばかりを垂らす…。
失礼を承知で白状すれば「やればできるけどやらないから出来ない子」だと思っていたのです。
(「やればできる」と思っているだけ甘いとすら思ってました)
だけど今、彼は少しずつ変わっている。
ヘタレな自分を存分に発揮してムードメーカー的ポジションを掴もうとしている。
JUMPとして出演している番組でも自分から話そうとしている。
今まで私に付き合わされて散々高木氏を見てきた私の家族が「ちゃんと話すようになったね」と評するくらいには彼は変わっている。
そっか。本当にやればできる子だったんだね。そして本当にやったんだね。
重ね重ね言いますが「6つも年上の」彼に私は偉そうに感動しました。
そしてもう一度、ヘタレな自分を活かす方向にシフトした彼を応援したいな、と思いました。
海だのBBQだの夏のアウトドアが大好きな所、太ると分かりながら食べるのがやめられない所、パーマのかかったワンレンの明るい茶髪(結局彼に一番似合う髪型はこれだと思いました)変わらない所もたくさんあります。
また彼を「ゆやさん」と呼んで愛でていきたいです。
まとめ方がわからなくなってしまったのですが、とりあえずまだまだ伸びしろのある高木雄也(25)を時々浮気しながら、まったりまったり応援したいと思います。
600円+αでここまで思わせてくれたポポロさんに感謝。そして、「たまに娘が帰ってきたんだから」と600円+αを支払ってくれた母親に感謝。
長々と失礼しました。
ではでは。