つれづれログ。

たぶん自己肯定感が高くて成長が見込めない人の忘備録

モヤモヤしている。

 

土下座:土の上に直に坐り、平伏して礼座を行うこと。

 

土の上に座って額を地面につける動作が日常の行動から大きく逸脱しているために、それだけ並外れた恐縮の意を含む礼式と解釈された。*1

楽しみにしてました。自担2人とも出演してくれて本当に嬉しかったのも事実です。

こんな事言いたくて観てたわけじゃないです!!

でも・・・でも・・・っ!!

 

やっぱり自分の好きなタレントが土下座している姿なんて誰も見たくないのでは?

 

なんであんなに点差ついたの!?

そもそも点数配分ってどういう仕組みなの!?

 

 

私の担当は神山くんも高木くんも前半のほのぼの観られるコーナーに出てくれたので最初は楽しく見てたんです。

後半も流星くん活躍してて嬉しかったです。

最後重岡くんが綱渡りしてる真剣な顔にも、下から心配そうに見上げてた淳太くんと濵ちゃんにも感動しました。

 

 

でもやっぱり最後の最後で嫌になっちゃった・・・。

 

一緒に見ていた妹(嵐担)は私が翔くんの番組にギャーギャー文句言ってる、って事実に怒っちゃった。

・・・空気が悪い。

 

なんか・・・なんだかなぁ・・・。

 

自担にお仕事が来るのは凄く喜ばしいのに、なんだか素直に喜べない。

モヤモヤしてるのですが明日は気持ちを切り替えてもう一度録画を見直したいのでここに書きました。

よし、もう文句言わない。

 

・・・でも次があるならルールもゲームも、もう少し考えた方がいいと思います。

*1:Wikipediaより。

ラッキィィィィィィィ7に隠されてた淳太くんの夢

(※うろ覚えですし細かい内容に触れるつもりは無いのですが、一応ネタバレ注意です。これから参戦する方は気をつけてください!)


「B.A.D.でやりたかった演出」


今回のコンサートで淳太くんが仕込んだ演出の中にはB.A.D.のステージとして以前考えたものが含まれている、と言及していました。


なんだろう?B.A.D.らしいステージってどんなものだろう?


私はB.A.D.に興味を持ったのはごくせん以降。そして彼らを本格的に追ったことは一度も無いため、他のB.A.D.担の皆さまと比べて知識も資料も足りません。

そんな私と、新規B.A.D.担の先輩で参戦した今回のラキセ魂。
2人してコンサート後のポヤポヤした頭で、足りない知識振り絞って「B.A.D.のステージ」についてアレコレ考えた結果、「今回のコンセプトそのものがB.A.D.から来ているのではないか」という結論に(私だけが)たどり着きました。*1



そもそもB.A.D.とは「ビューティフル・アメリカン・ドリーム」の略称。
そしてみんな大好き「V.I.P」の世界観。*2


これが今回のコンサートのカジノイメージと結びついたのです。

スロットが回ってメンバー7色揃って、コイン柄の衣装を纏ったメンバーが転がり落ちてくる。
最後の最後で歓声とテンションがMAXになって金ピカのカードが飛び出してくる。


ドル箱を思いっきりひっくり返したようにキンキラで眩しくて賑やかなコンサートはまさにカジノで一人勝ちしたぼろ儲け気分、壮大で素晴らしいアメリカンドリームそのものではないでしょうか?(本編最後の曲も「マルモウケ」ですしね(笑))


B.A.D.で表現したかった派手で豪華なステージを、淳太くんはWESTのコンサートそのものの世界観に拡大させてしまったんじゃ…?
ちょっと強引で大胆ですが淳太くんならやりかねないな、と思ってしまいます(笑)



私が参加した1月6日と7日、特に6日のMCはJrの頃の話ばかりでした。
そしていろんな方のレポを見る限り横浜を離れた後も7WESTやB.A.D.の話題が度々登場していたようです。
ジャニストは元々他のグループよりもJr時代の話が多い印象がありますが、今回は特に顕著だった気がします。*3


淳太くんはB.A.D.の時に温めていた演出やステージ構成を、WESTで叶えていこうとしているのではないでしょうか?
昔の自分が考えていた物よりもずっと自由で、豪華で、大きなステージに変わってゆく様を見て、淳太くんは何を思うのでしょう?


こんな事を考えると自分より遥かに年上の彼がちょっと微笑ましくなってしまいます。
溢れるようなアイデアが頭の中に留まらないで、大きなアリーナいっぱいに叶えられてゆく。その中にはちゃんと、照史くんがいる。それってすごく楽しくて、幸せなんじゃないかな、と。
そんな幸せの中に私達を招待してくれてありがとう。

これからも淳太くんが叶えていくたくさんの夢に楽しませて貰いたいな、と思います。




でもでも、昔を振り返ってばかりだと新規は寂しいな(笑)

(1/26修正・追記:ビッグじゃなくてビューティフルですね。大事なところ間違えちゃってすみません。)

*1:先輩は先輩で何か考えたと思う。

*2:私の中ではクラブで一目惚れした女の子とお酒飲んではしゃいじゃってる可愛い男の子の歌、ってイメージ。

*3:まぁ、現場に入るのはこれが初めてですが(^^;

「国境(ライン)の向こう」感想と久しぶりに見た賢章くんの話。



先日、舞台「国境(ライン)の向こう」を観劇しました。
小野賢章さんのファンクラブに入っていたことがきっかけで知ったこの舞台、ちょうど当落が出た頃が所持金のピンチと重なってしまい1度は観劇を諦めたのですが、なんと父親が興味を持っていたので調子よく乗っかることに。(父がチケット代出してくれました。やったね。)


戦争というテーマ、ポスターから漂う重そうな空気。賢章くんが絡まなかったら絶対観てなかったと思います。
実際は戦争と無関係な山奥の人々の話。小さな小さな茶番劇のような対立はあるものの、平和な話でした。


「国境」によって南北に分断された戦時中の日本。山奥にある2つの家族は、ちょうど2軒の間に国境を引かれてしまう。

しかし、兵隊すら見向きもしない山奥。両家は今まで通り助け合いながら仲良く暮らしています。

そこに軍隊に入っていた北の家の長男や国境沿いを監視している兵隊達が現れることで人々の心に小さなわだかまりができるようになって………


と、概要はこんな感じ。(※1度見ただけの人間の不明確な覚え書きです)
知識を得たことによって不幸になってしまう、というよくある話といえばよくある話。
この中で賢章くんが演じていた牧男くんは、南の家に住む村のこと以外何も知らない純朴な青年でした。
「ここには田んぼも畑もあるし、家族もいる。それにここが好きなんだ」
こんな純粋なセリフが賢章くんの真っ直ぐな声で紡がれるのがたまらなく愛しかったです。

北の家で育った牧男の幼なじみの華子は、1度村の外で共産主義などについて学んだ女の子。自分が生きてきた世界の狭さに気付き、必死で大人びた態度を取っている華子は牧男の暢気な言動を嫌悪します。「あなたは南の人、私は北の人」と牧男を突っぱねる華子に対し、「ここではそんなの関係ないよ」と今まで通り接する牧男。結局は華子も牧男の純粋さが羨ましかったんですね。



劇中数回登場するこの2人の会話を見ていて、この物語の幸福や希望の象徴が牧男くんだったのではないかと思いました。

わからない事はわからないから仕方ない。外の事は気になるけど、村も家族も大好きだ。心の底からそう思っていて、更にそれを笑って口に出せる牧男は一見馬鹿で暢気です。(戦時下とは思えないくらい朗らかですしね)誰もが1度は死を恐れ、疑心暗鬼になっていく中で彼だけはずっと笑っていた。今まで仲良く暮していた2つの家族がバラバラになった時も、彼はまた元通りになると信じていた。
どこまでも明るくて、真っ直ぐな牧男くんの姿こそ、この舞台の人々が最後に気づいた幸福だったのではないでしょうか。


観劇中も観劇後も、私は賢章くんが牧男くんで良かったと思いました。賢章くんがきっかけで触れた舞台で、1番素敵な人物を賢章くんが演じる、それがとても幸せな事のように思えました。

私は少し前まで賢章くんの追っかけになろうと思っていました。
大好きだったキャラクターのCVが彼だったのをきっかけに、ファンクラブイベントに行ってツーショットを撮る、彼とブランドがコラボした商品を買う*1などなど、一人暮らしで叱ってくれる人がいないのをいい事にやりたい放題でした。
全てが過去形になってしまったのは、最終的に全部止めてしまったから。
彼に注ぎ込むだけの資金も時間も無いくせに「貢ぐ」という言葉の響きに惹かれて散財し、「彼に関わるものは買わなくてはいけない」「お金を払って応援しなくてはいけない」と思い込んでいた自分に疲れてしまったのです。*2


そして凝りもせずジャニヲタを再開して半年。久しぶりに遠くから見た賢章くんは優しくて爽やかな牧男くんの姿でした。
ニコニコ笑って、甘え上手で、柔らかいのによく通る声で話す、初めて彼を知って「小野賢章っていいな」と思った頃の姿でした。

こんな素敵な舞台で良い役を貰えるような人だったんだと自分の目で強く実感しました。
遠くから見られてよかった。彼だけに変にこだわらないで見る事が出来て本当に良かった。

2階席から舞台全体を見渡せたのはとても好都合だったのかもしれません。



帰り際、父に「あの子の声はよく通るね」と言われて本当に嬉しかったし、私もやっぱり好きだと思いました。

そして今回彼のお芝居に惹かれました。
役者の小野賢章が好きになりました。


これからは変な意識に囚われることなく、彼の舞台を楽しめたらいいなと思います。
どうするか悩んでいた賢章くんのファンクラブ、とりあえず続けてみる事にしました。


無理せず、自意識に囚われず。
今度は身の丈にあった応援をします。


(牧男の母親役だった戸田恵子さんについても書きたいのですが、今回はここまでにしておきます)

*1:全部で10万近くかかって雀の涙程の稼ぎしかなかった大学生には辛すぎた。夏本当にお金がなかった

*2:リア恋に片足突っ込みかけてたせいでとにかく他の人よりお金使わなきゃ、みたいな意識があったんです。恥ずかしい…

自担が愛しくて仕方がない。

 
 
賞賛と満足と愛しさが止まりません。
 
 
 
先日放送されたベストアーティスト。
キミアトラクションを披露する最中、カメラが来たタイミングで最高に可愛いアピールをしてくれた高木くんに、
 
アルバムで重岡くんと共に最強に可愛いクリスマスソングを生んでくれた上に、知らない間にひっそりドラマの仕事までこなしていた神山くんに、
 

 
最近本当にこの2人が可愛くて仕方がないです。
テレビで見せる仕草や歌声、どれも私の大好きのツボを的確に押しに来てくれるかのようで、「可愛過ぎかっ!?」と「好きでよかった!!!(泣)」しか口にしていません。
こんなにも語彙力の欠如を痛感したことが無いっ!!もっと豊かな表現で2人のどこがどう可愛いのか語りたいっ!!!
 
 
こんな自分中学生の私に見せたらどう思うか…………
 
 
 
 
前にも何度か書いたのですが、私は今年から3年ぶりにジャニヲタ返りした出戻り勢です。
金銭面に余裕と自由が生まれた分、以前よりもっともっと毎日楽しく過ごせている気がします。(毎月雑誌5冊買いなんて中学生の時は夢でしかなかったからね……)
 
 
そんな今日この頃、前より素直に「可愛い」「カッコいい」を口にしている自分に気がつきました。
 
戻る前も今も変わらず高木くんが大好きなんですが、前はもっと「髪型がダサい」だの「立ち方がヒドい」だの言って毎月雑誌に悪態ついていました。
あの頃の高木くんと言えば
 
毎月髪型をコロコロ変えるものの、なんだかどれもしっくりこない。インタビュー内容もなんだか的を得ない。キュンと来ない・・・。(当時14歳 中学生)
 
なんなら山田担や知念担を羨んでいた。(当時15歳 中学生)
 
チャラいから嫌って友達に言われた(当時16歳 高校生)
 
・・・と、こんな感じです。(個人の見解です。ごめんなさい)
 こんなに失礼なら担当名乗らなきゃ良いのに、ってくらいでした。*1

 
 
実際本人の口からも「最近仕事が楽しい」「前はやらされてる、って感じだった」など今の方がずっと仕事に前向きな姿勢を取っていることを伺わせる発言が増えているので高木くん自体変わっているんだと思います。
 
 
・・・がしかし、私も大きく変わった。突っ込む事こそあっても貶さなくなった。
それもこの1,2ヵ月くらいで急速に変わった。


高木くんも神山くんも、とにかく姿を見るだけでニコニコしてしまう。
ちょっとでも動けば喜びが溢れそうになる。
「可愛い」とか「素敵」とか、とにかく賞賛を含んだ暖かい言葉だけをたくさん投げかけたくなる。


今すっごく幸せです。
高木くんのことばかり書いてますけど、神山くんの歌声や表情、仕草が全て私の「好き」にド直結なのも嬉しくてたまりません。*2



ニコニコふわふわしてるくせにここぞでキリッと決めてくれる高木くんが大好きです。

ストイックでかっこいいのに、普段は黙って穏やかに笑っている神山くんが大好きです。


もっともっと2人に大好きって言いたい!たくさん期待したい!
そう思いながら彼等にお金をつぎ込むのは本当に楽しいです。


日本文学学んでるくせに可愛い以外の語彙がないのが今1番情けない……。
もっと「らうたげなり」とか、「なまめかし」とかそれくらいの微細なレベルで可愛さを伝えたい!!
昨日までそんな事を思いながらゼミのレポートと戦っておりました。*3


2016年もますます2人に期待して、興奮して、たくさんたくさん幸せにしてもらう予定です。
もっともっと直接応援するつもりです!!


2人とも大好き!!!



(p.s.今日はじめて担当にファンレターなるものを書きました。)

*1:貶し愛ともまたちょっと違う気がする…

*2:好みとかタイプの話ではなく、見た瞬間「好き!」と思えるんです。

*3:日本の形容詞って数も多いしすごいな、と2年目にして実感する年の瀬。

ごはんの話



鯖の味噌煮にハマってます。



授業中急に食べたくなって学校のすぐ側の定食屋さんに駆け込んで、食べたら想像を超えて美味しかった。*1

衝撃が強すぎて1度きりじゃ収まらない為、家の近くのローソンを張り込む事3日(大袈裟)
本日ついにローソンの鯖の味噌煮弁当も購入。*2


鯖の味噌煮ってすごい。
お母さんが作っても、給食のちょっと冷えたやつでも、はたまたお惣菜でも美味しい。

ホクホクと箸を進めるうちに、小さい時の事を思い出した。




何のきっかけか、祖父と2人でご飯を食べる事になって、スーパーのお惣菜を机に並べて2人でモソモソ食べていた。
その時祖父が食べていたのが鯖の味噌煮だった気がする。(何か別の煮魚だったかもしれない)



私はおばあちゃん子で、平日はもちろん、休日に自分の家のすぐ隣にある父方の祖父母の家に入り浸る事も多かった。
祖母は私に甘かったので、私が何をしても怒らなかったし、何を欲しがっても与えてくれた。

食べるのが好きだったのか、まだ小学生にもなっていない私や妹を連れてファミレスやカフェ、すごい時はデパートの最上階にあるようなおしゃれなレストランに行って、なんでも好きな物を食べさせてくれた。*3

反対に商店街のお惣菜や駄菓子も好んでいて、こちらもやはり、私と一緒にスーパーやコンビニに行っては好きな物を買ってくれた。


そのせいか、はたまた人の記憶というのがそういう物なのか、祖母との思い出は食べ物ばかりである。

ケーキを3つ買って来て、妹が帰る前に2つ食べちゃいなさい、なんて言われた事。
2人でホットケーキを焼いたら火力がおかしくて生焼けのドロドロになって大笑いした事。
妹と祖父母と四人でお泊まりをしてハンバーグを作った事。*4
とにかく祖母に会う時は何かしら食べていた気がする。


逆に祖父は外食が嫌いで、祖母の強制で無理矢理ついてくるか(運転手兼任)、留守番をしている事が多かった。*5
数少ないからこそ、祖父との食事の思い出も割と鮮明に残っている。てっきり食べ物に興味が無いと思っていた祖父の口からチョコモナカジャンボが好きだと聞いた時の衝撃と言ったら無い。(食べる度思い出す)
今日思い出した2人の昼食もその1つだ。



ちなみに祖母の食い道楽は完全に遺伝していて、曽祖母から始まり祖母→父→私と続いている。
私はちまちまとした買い食いで散財する癖が小さい頃から抜けないしょうもないやつだが、父はちょっとした材料でスープや炒め物を作ったり、特別な時にちょっと贅沢なご飯を食べたり。いずれにせよ食への関心は高い。



ついでに話すと母方の祖母には手料理の思い出が多いのだが、これに関してはまた後日。





なんでこんな事を急に書き出したのかというと、祖父母の事を思い出していたら祖母の命日が近い事に気がついたからだ。
これ以上書くと記憶に脚色や捏造が入りそうなので、やめておく。


*1:ご飯3杯食べられた。自分でもビックリ

*2:うちの近所のローソンは何故か品揃えがいつも悪いので待てども待てども並ばなかった

*3:後から知った話だが、元々良い家のお嬢さんで、娯楽に使うお金は惜しまなかったらしい

*4:特別な事をしよう、と市販のデミグラスソースを買ってみて感動した

*5:昼間は畑仕事をしていた為、呼ばなければ捕まらなかった

遠い場所から別れを告げる話

この界隈に首を突っ込むきっかけが彼であっただけの人間の戯言です。
どうか読み流せる方だけご覧になってください。


昨日、今月一番楽しみにしていた番組で信じられない言葉を聞いた。



ベストアーティスト2015


所用でリアタイができなかった私はタイムラインの皆様の実況を楽しんでいたのだが、ある一瞬を境にどのグループの担当様も皆等しく「えっ」「嘘」といった短いツイートを連投するようになったのだ。

動揺のタイムラインから「KAT-TUN」「なんで?」を読み取った私は解散を覚悟して帰宅中の電車内で震えていた。



ようやく少し落ち着いて、震える指でKAT-TUN、と検索欄に入れた私が見たのは大好きな人、あの事務所で一番初めに好きになった人の脱退・退所報告だったのだ。




初めて彼を意識したのは2005年〜2006年に放送されていた歌笑だった。

両親が「三郎*1」と呼んでいた彼の事が少し気になって、目で追ったのが最初だと思う。

いつの回だったか、コンプレックスの話をする流れになって、「笑うと目が無くなっちゃうんですよね〜」とこぼし、「でも田口くんの笑顔はチャームポイントだよね」と和田さんに褒められて綺麗にはにかんだ彼を見た時にはもう完全に好きになっていた。

KAT-TUN全員に見せ場を作ってくれる歌笑は茶の間ファンの小学生が田口さんにハマるのに十分すぎる映像を提供してくれて、あの大きな大きな身体が華麗にバク転を決める姿はジャニーズを知ったばかりの私には本当に衝撃だった。


恥ずかしい表現だが本当に王子様に憧れるように「じゅんの様」を好きだったのだ。



それから10年。

何度か担当が変わってしまって、一時ジャニーズからも離れていたけれど、テレビでKAT-TUNを見れば田口さんに目がいった。

最初に抱いた印象と彼は少しずつ変わっていったけれど、特に幻滅も衝撃もなく、茶の間ファンとしてKAT-TUNを応援していた。


そしてここ最近の田口さんは本当に綺麗で、ジャニヲタ出戻りと共に再び買い始めた雑誌に彼が載ると幸せだった。



それら全て、もう見ることができなくなるのかと思う。

何の報告も無いため、今後彼がどの道で生きていくのか全くわからない。今の時点では全て想像でしかなく、確定しているのは彼がKAT-TUNから、ジャニーズからいなくなってしまう、という事実のみだ。


ただなんとなく、もう今のように彼を見て笑い、憧れ、感動することはできない気がする。


円盤も無い。現場に行ったこともない。雑誌はあるけどそれだって買った目的は彼ではない。

私は今までずっと茶の間ファンの域を飛び越えられなかった。

田口さんを好きになった時は田舎の小学生で、自分の勝手で彼を追いかけるには財力も脚も理解も無かった。(追っかけの存在こそ知っていたものの自分とは無縁と思っていたし、そこまでの熱がなかったのも事実)

大きくなってある程度の自由が効くようになった頃にはたくさんの人に魅了され過ぎていて、結局彼に私が働きかけられたことなんてテレビを挟んだ場所からの賞賛だけだった。


彼がジャニーズという大きな組織の中でアイドルをしている限り、こんな応援の仕方で十分満たされたのだ。


それがこれからはどうだろう?

きっと強く会いたいと願わなければ会えない存在になるだろう。もしかしたらメディアの前に顔を出すことが無くなってしまうかもしれない。

そうなれば私は自分の担当達を応援して、楽しんで、毎日幸せに暮らしながら何かの拍子に彼を思い出すのだろう。


それを寂しいと思うくらいには彼が大好きなのに、私はお茶の間から飛び出せずにここまで来てしまった。



彼だけを追いかけてきた方々や、それこそあの時あの場にいた担当の皆様に比べたら私のショックなんて軽いものだろう。

それでもやっぱり一晩経って尚寂しさは増すし、これを書きながら気持ちに整理がついてきたら余計に悲しくなった。


綺麗で、愉快で、華やかな彼が大好きだ。

こんなことを書きながら、もし彼が何かの形でメディアに出ようものなら嬉々として見てしまうかもしれない。

何かの機会があればあっさりお金を出して彼に会いに行くかもしれない。



ただ、今は考えられない。

今後についての言及が何もないから尚更だ。


私は最後の日まできっと美しいであろう最初に好きになった人の姿を今まで通りお茶の間から見続ける。



*1:ドラマ「がんばっていきまっしょい」内の田口さんの役名。両親はこのドラマが好きだった

自分のジャニーズ遍歴振り返った。



昨日例の先輩とブックオフに行きました。

昔のNEWSとJr.時代のWESTを追う事に精を出す先輩は中古のアイドル誌を定期的に買い漁っているようです。



毎度毎度大量の中古雑誌を吟味している先輩を見ると本当に申し訳なくなります。彼女が手にしている雑誌はどれもこれも私がリアルタイムで所持していたものばかり。

それらはヲタ離れしていた3年ほどの間に家族によって処理されてしまいました…。

ごめんね先輩。私があの辺の雑誌と一緒に上京していれば…。

中学生の財力だったからポポロばっかりだったけどたまーにduetとかの7日発売誌もあったし、ごくせんの頃はゆやさんのためにMyojo買ってたし、結構充実してたはず…



と、ここまで思ったところで「あれ?意外と私長い間ジャニーズに入れ込んでた?」と今更な事に気付きました。

DD(誰でも大好き)という言葉が生まれるずっと前から誰でも大好きだった上にどのグループも今で言う「永遠の新規」と称されるタイミングでハマっていたためにひよっこの自覚が抜けなかったが、もしかして年数で言えば結構長い事入れ込んでたのでは?

と、言うわけで今まで通ってきた道を振り返ってみました。

(二つめくらいの記事で振り返ってたけどあの時と今じゃ明らかにテンション違うので改めて)



KAT-TUN

ジャニーズの中の1グループに興味を持ったのは多分ここが初めて。

小4くらいの時にちゃおに載ってた赤西くんのインタビューを読んだのがきっかけで、デビューを記念した大量の露出に乗っかった形でハマる。

最初は亀梨赤西でキャイキャイ騒いで、最終的にじゅんの様に落ちた。

あの時はまだ王子様だと思っていたなぁ…(遠い目)


ちなみに最近の黒髪田口が「じゅんの様」の面影を見せてきて私としてはとっても嬉しいです。


②嵐

元々お茶の間ファン程度に好きだったけれど、KAT-TUN目当てに雑誌を買うようになってしっかりのめり込む。

まだ小学生で、周りに相葉くん支持派が揃う中自分だけずっと翔くんを推してるのがちょっと誇りだった。


ちなみに嵐とは後々妹が二宮担になった為長い付き合いになりました。

歌える曲が一番多いグループかも。


関ジャニ∞

アイドル誌を読むようになって初めて存在を意識したグループ。その為錦戸渋谷などをすっ飛ばして最初から真っ直ぐヤスくんに落ちた。その後たっちょんにも軽く落ちた。

CDの初回限定版にこだわるようになったのもここから。そういう意味ではジャニヲタスタートは彼らかも。

両親は私がハマる前から深夜番組を観ていて、既に父親は丸ちゃん推しだった。

後にも先にも家族みんなで全力で応援してたグループはここだけかもしれない。


④Hey!Say!JUMP

出ました私の最高。←?

Hey!Say!7ブームの真っ只中、みんなと一緒に山田くんを愛でるところから始まって、突如高木くんに落ちる。そのままJUMPデビュー→今に至るまでずっと高木担。

貶し愛を覚えたのは確実にこのグループから。どんなに文句言ってもずっと好きだった。

初めてコンサートに足を運んだのもJUMPです。(何故か家族4人で)

アリーナ席の上の方だったのに父親が「岡本くんにピースしてもらった!」と喜んでいたのが忘れられません。



しかし高2の冬、彼らから一瞬離れました。

決定的なきっかけは未だにわからないのですが、金銭的余裕のない高校生に、発展途上の彼ら(特にあの頃高木さん迷走してたし)を追っかける元気が無くなっていたのかな、と思います。

(ほら、5000円すら死ぬ気で払ってた時代ですから。ライブDVDがちょっとでもつまらなかったら怒り狂ってたんです。必死だったとも言えるかな?)


そんで、JUMPから離れて落ち着いた先が

⑤V6

きっかけがまるで思い出せない。セクバニか、バリバリか…。ちょっと完成された大人に興味が湧いてしまった。

ちなみにV6は前から健くんが好きだった。小さい時から伊藤家で見てたからだと思う。普通に雑誌とかで人となりまでわかってたらイノッチに落ちてたはず。(←)


ここに少しだけハマったのを最後に3年ほどのジャニ離れ。アニメと声優の世界に飛び込んでいきました。



そして大学入って1年ほど経ったところで久しぶりのジャニーズ。

そしておかえりなさい私のジャニヲタ人生。

ここで新しくハマったのが

ジャニーズWEST

前から触れる機会のある人ばっかりだった。

エイトにハマってた頃は毎年の少クラ大阪スペシャルが大好きだったし、ごくせんはもちろん映画までしっかり観てたし(桐山くんに至っては雄也さんの親友である)、カウコンでデビュー発表があった時も「あ、この子たちデビューするんだ」と驚いていた。(その時は諸々の事情も知らなかったので、後日テレビで見たらメンバー増えてて余計に驚いた)

先輩からの布教も手伝って「好きになるも何も、前から好きでしたよ?」くらいの気持ちで跳び込んだ。


応援していたJr.がデビューする、っていう経験を初めてさせてくれたのは藤井流星くんでした。

ずっと少クラで「カッコいいなぁ、喋らないなぁ」と思って見ていた彼を、今地上波の番組で「カッコいいなぁ、喋らないなぁ」、と思って見ていられるのがちょっと嬉しいです。


そしてJr.時代には気にしていなかった神ちゃんの存在。こんなに可愛い人いたっけ?前から気づいていたかった…。


あ、年下がいる!!ってナチュラルにショック受けたのもWEST。

私は早生まれなので学年はのんちゃんの一個上。(セクゾンデビュー時勝利くんは同い年だと勘違いしていた為ノーカンで。)(「こんな大人っぽいのに年下?!」という類のショックなのでマリウスくん聡くんもノーカンで)

そういえばのんちゃんの変化にびっくりしたなぁ…彼に何があったんだろう…?

(3年間全く見てない内にあれだけ変わってたらそりゃ驚きますって)



…と、こんな経歴を経て現在に至っております。久しぶりのジャニーズ楽しいです。持ってるDVD手放さなくて本当に良かった。(1回本気で売ろうとしてた)雑誌だけじゃなくCD、DVDまで無くなってたら後悔止まらなかった。



ちなみに明確にハマってないので書かなかったのですが、NEWSをレンタルショップで漁ってた時期もありました。まっすー推しで、テゴマスは1枚だけCD持ってます(「キッス〜」が無性に欲しくなって買った)


何だろう?私奇抜な人好きなのかな?

可愛いじゃ済まされないくらいポヤポヤしたイケメンが好きなのは自覚してるけど、よく見たら歴代奇抜チビ全部通っている…


まぁいいや。自分が満足したので今日はこの辺で。


ではでは。

(流してたVコンDVDが今「遠いところまで」になってタイミングいいな、と思いました笑)